【今日の出来事】
本日2冊目のご紹介。花神の下巻。大村益次郎さんはすごい。
【本の紹介】
(13/365) 花神(下) 司馬遼太郎著 新潮文庫
【くまの感想】
続いて下巻を読んでみた。討幕軍総司令官となった大村益次郎さんはまさに花神。
それは、中国の方でははなさかじいさんを意味する言葉なのだそうだ。
■ 引用メモ ■
蔵六は、単に技術者にすぎない。それも西洋式の軍事技術者であった。
技術は技術そのものとして単独に存在することはない。技術には
かならず思想がくっついていて、ときに技術そのものが思想である場合
もありうる。蔵六はみずから意識したかどうか、平等思想の徒であった。
「百姓である」と自分を規定しているのは、百姓が百姓をひきいてゆく
から百姓が勇奮するのだ、という機微を言いあらわしているのかもしれない。
⇒ これも司馬遼太郎さんの思いがきっと入っているのだと思うが、
私もその通りだと思う。技術そのものが思想。平等思想。
とても印象深いセンテンスである。
■ 引用メモ ■
「王政維新てのは薩長人の力なりと世人は思っているようだが、とんでもない
間違いさ。あれは家康公のはからいよ、いや冗談じゃないよ。慶喜は
(と呼びすてして)それを知っていたさ、あたしも知っていたがね」
⇒ これは勝海舟の言葉であるが、いかにも言いそうな言い回しである。
全くあり得ないかもしれないが、江戸っ子の見栄なのかもしれない。
そこがとっても面白い。
■ 引用メモ ■
蔵六に対する稀有な理解者であった木戸孝允は、その日記に、
「大村はその性格が剛腹であるが、人間に表裏というものがまったくなかった」
⇒ いかにも冷徹な技術者をイメージできるコメントである。
いつの世にもこのようなキャラクターの人物がいるものである。
討幕をしたのち、西南戦争への予想及び、その対策をしっかり
行いこの世から去っていく潔さは、まさに感動するシーンであった。
出会えた本に感謝。 いつも閲覧いただき、ありがと!感謝!
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